【わかりやすく要約】アドラーの嫌われる勇気とは「人類補完計画」

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Adler おススメの本

「人は何かしら欠けている」
「人は人間関係に困っている」

「嫌われる勇気」の内容は”人間の悩みを解決”する方法を言語化した魔法の書物、だが夢物語に近い。
しかし書かれている内容は本質的、「個」のレベルでちょっとでも世界を変えたい…まずは一歩踏み出したい…そう思っている人に本当におすすめできる書籍。

アドラーの心理学による「嫌われる勇気」と、エヴァンゲリオンの「人類補完計画」とても似ています。
初見でアドラーが理想とした世界感を理解するのは非常に難しい、先にYouTubeでエヴァンゲリオンの考察動画見ておく良い。

私は、にわかエヴァンゲリオンファンなので「人類補完計画とは」とGoogleさんに問いかけました。

「個」の概念を超越させることで、苦しみや争いのない完全な存在へと進化(補完)させるための計画

と答えてくれたので自信を持って記事を書かせて頂きました。
ゼーレや碇ゲンドウが望んだ世界感、アドラーが持つ理想の形を比べてみると面白いと思います。

新しい技術の誕生で時代や環境は前進、成長しているが人間は成長しているのか?
便利になっているのに幸福から遠ざかっているように見えます。

この本は『人生を幸福度を高めてくれます』
わかりやすく要約してみました!ぜひ最後までご覧ください。

私はこの本を読んで「全員の個の成長」が「幸福」への鍵だと思いました

この記事の内容
  • アドラー・嫌われる勇気とは
  • 人は変われる
  • 人の悩みは全て人間関係
  • 人間関係の悩みを解消する方法
  • 【まとめ】人類補完計画は個の脱却がカギ

アドラー・嫌われる勇気とは

アドラー・フロイト・ユング

この本は「青年」と「哲人」のトーク形式で物語が進行する非常に読みやすい本である。
岸見一郎さん(心理学者)と古賀史健さん(ライター)がタッグで仕上げた一冊。

2013年にダイヤモンド社より出版。
2025年現在、世界累計で1350万部が発行されており、大ベストセラーとなっている。
ビジネス書では異例の舞台化、ドラマ化もされている。

アルフレッド・アドラーは、オーストリア出身の心理学者。
幼少期に体が弱かったアドラーは「人間は誰もが体や心に何らかの弱さを抱えており、弱さを補償しようとしてより強く、より完全になろうという意志」があると考え「個人心理学」を確立した。
アドラー心理学とも呼ばれる。

「フロイト」「ユング」「アドラー」は心理学の三大巨頭と呼ばれています

「嫌われる勇気」のタイトルだけを見ると、自己中心的な思考をするのか?と誤った発想をしてしまいます。
そんなことはありません、むしろアドラーは他者貢献や課題の分離など他者と適切な距離感を意識することが大切だと言ってます。

人は変われる

アドラー名言

アドラーは断言しています。
『これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない』

つまり”人は変われる”と唱えているのがアドラー心理学。

変わりたいと願って変われない人は、やれない理由をあれこれひねり出し続けて幸福になることを困難にしている。

心理学者フロイトと真っ向から対立することになる

人が変われる理由
  • トラウマの否定
  • あなたは「このまま」でいいと思っていない
  • ライフスタイルは自ら選んでいる

トラウマの否定

アドラー心理学ではトラウマという考えは否定している。
過去が原因で足を踏み出せない状況を考えてみる。

例えば
「幼少期にいじめを受けて人間関係を築くのが苦手、引きこもってしまい外にでられない」

このようなケースを見ると我々はトラウマが原因だと決めつけてしまいます。
しかしアドラー心理学では引きこもってしまう原因に「過去」は関係ないと言う。

  • 原因論
  • 目的論

「昔を思い出して不安になってしまう」過去が原因だと考えて外に出られない原因論
「外に出たくない」という目的を達成させるため、不安という感情を作り出していると考える目的論

アドラー心理学は「原因論」の否定から始まり、全ては「目的論」であることを説明します。

序盤いきなりのトラウマ否定
受け入れられないと、この本は数ページで終わります

「怒り」の感情で考えてみると分かりやすい。

お寿司屋さんで店員さんのミスでお茶をかけられてしまいました。
あなたは冷静になる余裕もなく激しく激怒することになったとします。

もし偶然、あなたがナイフを持っていたらそのまま刺すのでしょうか?
差しませんよね、このことからアドラーは「怒りとは出し入れ可能な道具」と考えます。

お茶をかけられたから、腹が立って怒った(原因論)

「怒る」のが目的、お茶をかけられたことを利用して怒りの感情を生み出した(目的論)

アドラー心理学とは「感情」や「過去」に支配されないという考え方。
原因論の住人であり続けるかぎり一歩も前に進めない。

アドラー心理学に言わせると「アスカ」の気の強い性格は、幼少期に母親から受けたトラウマが原因じゃないというのか…

あなたは「このまま」でいいと思っていない

もし幸せを実感できずにいるのであれば「このまま」で良いと思っているはずがない。
よくある例を持ち出してみます。

「あの人」はとても明るくて社交的、友達もたくさんで羨ましい、そして顔もいい。
自分は人付き合いも苦手で笑顔で振舞えないし性格も根暗だ。
「あの人みたいになりたいなぁ」

しかし「理想のあの人に近づきたい」と他人に近づく方法は間違い。
「このわたし」を捨てて「別人」に生まれ変わりたい、そんなこと出来る訳がない。

まず必要なのは「このわたし」を受け入れること。
「このわたし」を変えないと、自分を愛せないという考え方は間違っている。

自分には何が与えられているか(間違った注目)

与えられたものをどう使うか(正解の注目)

あの人が持っているモノ、私が持っていないモノに注目した所でどうすることもできない。

「他の人を批判して怒っている人」
「友達と比較して落ち込んでいる人」は、自分に注目してあげてください。

「変わる」のに必要なことは、自分を捨てる「交換」ではなく、ライフスタイルの「更新」である。

碇シンジくんの「ライフスタイル」を更新した名シーン
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…
やります!僕が乗ります!

ライフスタイルは自ら選んでいる

この本にでてくる”ライフスタイル”とは、「性格」や「価値観」、広く言えば「世界感」のことを言う。

『あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの』

いきなりひどいことを言ってきますね…

「不幸であること」が自分にとっての「善」だと判断しているのである。
その上で、人は常に「変わらない」という決心をしている。その方が「楽」だから。

「楽」とは、「乗りなれた車」を運転しているような状態。

変わることで生まれる「不安」

変わらないことでつきまとう「不満」

人生を「海で漂流したイカダ」で例えると

「漂流しているが何もしない人」と、「手や木の棒で必死にこぎ進める人」
身をゆだねてそのまま助けを待つか、助かるために行動するか、どちらか。

多少の不満があっても「このままのわたし」でいることの方が「楽」で安心、多くの人はこちらを選んでしまう。
ライフスタイルは常に選び直すことが可能、いつでも変われるといいます。

変わるのに必要なものは勇気だけ、アドラー心理学は『勇気の心理学』

ミサトさんにキスされても動かなかったシンジ君
勇気がもう少しあればアスカを助けられたのに…

人の悩みは全て人間関係

アドラーレベル

アドラーは『人間の悩みは全て対人関係の悩みで、内面の悩みなんて存在しない』と断言している。

一般人が “X” でこんなこと呟いたら炎上ものですよ…

自分の事が嫌いな人、短所ばかり目につく人は「自分を好きにならないでおこう」と決心しているのだという。
目的は他者との関係で傷つかないこと、その目的の達成に必要なのは『自分を嫌いになること』

もし自分しかいない世界があったら悩みなんて存在しない、人がいるから「孤独」や「劣等感」という悩みが生まれる。
孤独を感じるにも劣等感を感じるにも他者という存在が必要。

アドラーの話が真実なら「劣等感」について正しく理解する必要がある。

  • 【level 1】劣等生
  • 【level 2】劣等感
  • 【level 3】劣等コンプレックス
  • 【level 4】優越コンプレックス
  • 【level 5】不幸自慢

【level 1・2】劣等生・劣等感

【level1】劣等生…客観的な事実、身長が「低い」のであれば、ただそれだけのこと

身長やテストの点数、会社での立場など誰が見てもわかる立場というものがある。

人間にはそれぞれ個性の違いや差があるのであるから、違っていて当たり前。
しかし、そこに自分で「意味付け」をしてしまうと「劣等感」となってしまう。

【level2】劣等感…主観的な解釈や思い込みで他者と比較、悩んでしまう

わたし達を苦しめているのは、自分で勝手に思い込んでしまっている「劣等感」だという。

「劣等感」という言葉はアドラーが作りました
「価値」が「より少ない」「感覚」という意味

他者との比較は誰もが持っていて完璧には無くせない、しかし良い所もある。
「劣等感」とは主観的な考えであるので「意味付け」を変えるなどで、自分で選択ができる。

身長が低いと相手は警戒心を解いて対話してくれる

長所にするのも、短所にするのも自分次第。
さらに「劣等感」は、使い方を間違えなければ努力や成長の促進剤になる。

人は無力な状態から脱したい欲求「優越性の追求」を持っている。
より前進しようとする向上心、理想を叶える動力源になる。

「劣等感」が努力するキッカケになった事は誰しもあるはず

【level3・4】劣等コンプレックス・優越コンプレックス

これ以上レベルを上げるのは危険。

【level3】劣等コンプレックス…劣等感の進化系、「劣等感」をやらない言い訳に使い始める

「どうせ自分なんて」とネガティブな感情で何にもチャレンジできなくなってしまう。
アドラー心理学で大切な『勇気』がくじかれた状態。

重大な因果関係があるかのように自らを納得させてしまう「見かけの因果律」というものがある。

「私が結婚できないのは幼い頃に両親が離婚したからだ」
結婚できないことと、両親が離婚したことは何の関係もない

「学歴が低いから成功できない」
学歴が低いことと成功できないことは何の関係もない

「結婚できない」「成功できない」と思っている人の本心は「結婚しなくない」「成功したくない」と思っているのです。

「変わりたくない」本心
  • 一歩前に踏み出すのが怖い
  • 努力をしたくない
  • 楽しみや遊び、趣味を犠牲にしてまで変わりたくない
  • ライフスタイルを変える勇気がない

「変わりたい」と言ってはみるけど、実は「変わりたくない」、多少の不自由や不満があっても今のままの方が「楽」だから。

その通りかもしれんですけど…手厳しい

「劣等コンプレックス」で自分を満たせない、自分を許せなくなるとレベルが上がります。

【level4】優越コンプレックス…偽りの優越感に浸る、あたかも自分が優れているかのように振舞う

自信が無いので、認めてほしいと強く思う「承認欲求」に溢れている。
精一杯、自分のすごさをアピールします。

  • 過去の栄光話
  • 一番輝いていた時代の思い出話

他人に、自分の「価値」を押し付け、認めさせようとします。
「支配されたくない」でも「変わりたくない」、こうなると最悪の状態です。

会社にもいると思います
過去の栄光話をいっぱいするけど現在、何も努力をしない人

【level 5】不幸自慢

【level5】不幸自慢…不幸ジャンルで人の上に立とうとする

不幸を武器に相手を心配させることで「特別」になろうとする厄介な人。
ねらいは、相手の「支配」「コントロール」

例えば、変化を促すアドバイスをしたとしても「あたなには私の気持ちなんてわからない!」と言われてしまえば何も言えなくなる。

極度の人間不信、疑心暗鬼はレベル5に相応しいにぱー☆

この世界では「弱さ」は強くて権力がある。最強は赤ちゃん。
赤ちゃんは「大人を支配するが支配されることはない」

「不幸自慢」とは、弱い者が支配されることはないルールの悪用、相手の善意を逆手にやりたい放題していることとも言える。
しかし、「不幸」を武器に使ってしまうと、その人は永遠に「不幸」が必要になってしまう。

「劣等感」を育て過ぎた人の末路は「不幸自慢」、もう手遅れなのかもしれない。
比べるべきは『理想の自分』

他者との比較

理想の自分

人間関係の悩みを解消する方法

馬を水辺に連れて行く

アドラー心理学では「人の悩みは全て人間関係」であると言っている。
その原因はたった2つ。

対人関係のトラブルの原因
  • 他者の課題に土足で踏み込むこと
  • 自分の課題に土足で踏み込まれること

人間関係の悩みを解消する方法は一つ。
他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人介入させないようにする。

対人関係をシンプルに設計することが自由への一歩である。
「自由とは他者から嫌われること」(を恐れないこと)であるが、自己中心的に振舞うことは一切推奨していません。

「嫌われたくない」と願うのはわたしの課題、しかし「わたしのことを嫌うかどうか」は他者の課題である。
「幸せになる勇気」には「嫌われる勇気」が含まれている。

エヴァに乗ってほしいと思うことは「ゲンドウの課題」
エヴァに乗るかどうかは「シンジの課題」
乗りたくないと言ったのであれば課題に踏み込んだり介入してはいけない

嫌われる勇気
  • 課題の分離をする
  • 共同体感覚でいる
  • 叱らない、褒めない

課題の分離をする

「課題」について、これは誰の課題であるのだろう?と考える。
例えば小学生・中学生の「勉強する」といった課題。

大人が「勉強しなさい」と命令することは、子供の課題に対して土足で踏み込む行為でしかない。
その結果『衝突』することになり人間関係の悩みの種になってしまう。

課題の見分け方は「その選択によってもたらされる結果を最終的に引き受けるのは誰か?」である。
アドラーの教えは、子供に人生を決めさせる血も涙もない冷酷で非情な人かよ…と一瞬だけ思いましたが違います。

「何をしているか知らない」「知ろうともしない」放置する教育はダメ

「見守る」「自分の課題であることを丁寧に伝える」「精いっぱい援助する」する

これは、信頼関係を築いていることが前提の話。
子供であろうと課題には土足で踏み込まない、口出ししてはいけない。

例えば靴紐を結ぶことで苦戦している子供がいるとする。
大人が手伝ってしまえばその課題は解決する。しかしアドラーはこう述べている

「困難に直面することを教えられなかった子供たちは、あらゆる困難を避けようとするだろう」

「課題」の分別は自己中心的ではない、むしろ他者の「課題」に介入することこそ自己中心的な発想である。

「就職先は公務員にしなさい」
「この資格を取りなさい」
「結婚相手は大学を卒業した人にしなさい」

などの命令で介入するのは、人間関係の悩みを自ら増やしたい人がする行動。

「破」のラストでミサトさんはシンジ君の背中を押しました
「行きなさいシンジ君!誰かのためじゃない!あなた自身の願いのために!」
しかしその結果ニアサーを起こしてしまった
「Q」が始まるといきなりシンジ君に冷たく当たっている…課題の分離が全くできていない

共同体感覚でいる

アドラー心理学の目指すゴールは、『共同体感覚』
「ここにいていいのだ」と思える感覚のことである。

共同体感覚とは…他者を仲間と見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること

不幸や悩みの理由が対人関係にあるのであれば、幸福の理由も対人関係であるはずと考える。
まずは、社会での最小単位である「わたしとあなた」に注目。

やることは一つ
『自己の執着を捨てて、他者への関心に切り替えてく』

他者からの評価に怯え、気を使い、合わせようとする行動は、他者を見ているようで実は「わたし」にしか関心が無い状態、自己中心的な思想。

他者の目線を気にしているという事は、「わたし」を良く見せようとしているのに他ならない。

「わたし」は世界の中心に君臨している

「わたし」は共同体の一員であり全体の一部

所属感はただそこにいるだけでは得られない、共同体に対して積極的にコミットすることで得られる。
「仕事」「交友」「愛」などの対人関係を回避しない、その上で「わたしはこの人に何を与えられるか?」を考える。

『giveの精神』ですらどこか見返りを求めている。
アドラーの究極の理想は『完全な無償の愛』である。

「僕はここにいていいんだ!」
エヴァ最終回でシンジ君は共同体感覚に到達します

叱らない、褒めない

子育てや部下の教育には2つの方法があると言われる。

  • 叱って育てる
  • 褒めて育てる

しかし、アドラー心理学ではコミュニケーション全般「叱ってはいけない」し「褒めてはいけない」と言う。

「叱る」のは相手の尊厳を傷つけ、劣等感を強めてしまう。
「褒める」ことに否定的な理由、しっかりあります。

「よくできました」この言葉は、上から見下していると言う。
実は、褒めるという行為は『能力のある人が能力の無い人に下す評価』

分かりやすい例を1つ挙げると
子供が皿洗いや宿題をすると、親は「よくやった!」と言います。
パートナーが皿洗いや洗濯をしていて「よくやった!」と言ったらどうでしょうか?

ブチ切れて暴走しますよね…

言ったらダメ
  • 家事をしてくれたパートナーに「よくやった」と褒める
  • 女性の部下に「○○ちゃん」など対等でない対応

褒める、叱る関係性を『縦の関係』と呼ぶ、「アメとムチ」である。
目的は『自分より能力の劣る相手を操作すること』

「縦の関係」に生きていると褒めてもらいたいと思ってしまう。
劣等感とは「縦の関係」の中から生じる意識。

「縦の関係」の世界観は捨てて、全ては「横の関係」で生きることが大切。
「横の関係」では『操作』の変わりに『勇気』を持たせる行動が必要になる。
アドラー心理学で『勇気づけ』という。

「横の関係」を分かりやすく表現できるのが、会社員と専業主婦である。
働いている場所や役割が違うだけ「同じではないけど対等」

勇気づけに必要なアプローチは

他者評価しないこと

感謝には「ありがとう」と言う
素直に「うれしい!」と表現する
お礼の「助かったよ」を言う

人は、自分に価値があると思えた時にだけ『勇気』を持てる。

うっかり
「あんたバカァ?」「七光り」
とは言ってはいけない

【まとめ】人類補完計画は個の脱却がカギ

人類補完計画

googleさんが答える「人類補完計画とは」

「個」の概念を超越させることで、苦しみや争いのない完全な存在へと進化(補完)させるための計画

ここまでの7000文字のアドラー心理学を簡単に要約してしまうと…

ここまでの要約
  • 我々の感じている「苦しみ」や「争い」は全て人間関係であること、その原因は『課題の介入』である
  • 解決策は『共同体感覚』、常に他者貢献を意識する。
  • そして「自分」と「他者」の課題はしっかり分離する。

どうでしょうか?
実行するためのラストピースがまだ残っています

最後のピースはアドラーの『人生観』
人生観をシンプルにしなければいけません。

「線」の人生をキーネーシス的人生と呼び、「点」の人生をエネルゲイア的人生と呼ぶ。

キーネーシス的人生…計画から結果まで効率的に達成しようとする

エネルゲイア的人生…「いまなしつつある」ことがそのまま「なってしまう」

『旅』で例えるとわかりやすい。
行先は「ペルーのマチュピチュ遺跡」

キーネーシス的人生では「マチュピチュ遺跡」を見ることが目的になる。
理想はヘリコプターで現地に最短で行き、写真を撮影したらすぐ帰宅、効率的に目標達成する人生。

エネルゲイア的人生では「旅」自体が目的になる。家を出た瞬間から「旅」が始まり、道中のトラブルも「旅」、さらには到着できなかったとしても「旅」。

人生観

なぜ計画的で効率的な人生に否定的であるのか?
それは「過去」や「未来」というものは、ぼんやりしているからである。

必死に考えても「過去」は変えられない、「未来」がどうなるか決めれない。
だから人は『いま、ここを、精一杯真剣に生きる』ことが大切。

今を真剣に生きていれば「わたし」は、前に進み続けることができる。
真剣に生きていないと、目を逸らす理由を探してしまう。

「どうしてこんなことになったのか」と立ち止まってしまう

「これから何ができるのか」前を向いて考えることができる

本のラストに書いてあるアドラーの言葉がラストピース。
たった一人、自分の人生をシンプルにすることができれば『人類補完計画』が完了します。

『誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく』

日本人が最も苦手なこと、だからこそ幸福度ランキングではいつも下位になってしまう。

アンケート調査でよく使用されている「リッカート尺度」というものがある。
5段階の回答で中間に用意されている「どちらでもない」という選択肢、これによくチェックしてしまう人は人生を真剣に生きていない。

たかがアンケート、しかし真剣に回答していれば「どちらでもない」なんて回答にならないはず。
ただ判断を保留、先延ばしにしているだけ。
エネルゲイア的人生を歩むことができれば「やや満足」にチェックすることができるはず。

「アンケート」も「苦しみ」も「争い」も我々の歩みを止める悩み、生きている間必ずつきまといます。
「ただ歩き続けるイメージ」を持って、逃げずに歩み続ける人生ができるようになれば、人生が楽になると思いませんか?

「苦しみ」や「争い」のない世界は自分次第でつくれるのです。
誰もが「ここにいていいんだ!ありがとう!」、そう思えるようになります。

こりゃ厳しい人生だな!

終わり!!

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